2011年01月15日

レバノンで挙国一致内閣がヒズボラ閣僚辞任で崩壊 2


ヒズボラは2006年イスラエルと戦って追い出した

 ヒズボラがイスラエル兵を捕虜にした事件をきっかけに、イスラエルが2006年にヒズボラの支配地域のレバノンに侵攻して来た。猛烈な地上戦があった。このときにヒズボラが撃ったイスラエル向けのロケットが国境地帯の都市に着弾した。いままでは常勝のイスラエルであったがこのときはヒズボラが互角の戦争をした。

  このときのイスラエルの首相はオルメルトという首相であった。この人は負け戦をしたとイスラエル国民には不人気であった。そのため撤退をする3日間は子爆弾が不発弾になる恐れの爆弾を、ヒズボラが支配する地区に沢山落とした。その負け戦が今度は強硬さむき出しの「ガザ」攻撃へと繋がっていった。

 イスラエルと互角に戦ったヒズボラの地位は上がり、読売の記者によると以前よりもっと力を増したという。そのためヒズボラの民兵力はレバノン国軍より強いといっている。レバノン政権は崩壊したが、このレバノンではヒズボラの意向に逆らっては何事も決まらないだろとレポートしている。

 しかし欧米はヒズボラのハリリ元首相暗殺の嫌疑を問うて裁判にかけるはずである。国際的なつながりを大事にすれば、ヒズボラの協力が得られない。ヒズボラのいうことを聞いて裁判を拒否すれば、国際的な信用をなくすことになる。これからどんな人が後任の首相になるのか分からないが、今後関心を持って見守りたい。






posted by 想念の人 at 23:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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