東大教授山内昌之さんは「グルジア戦争は世界史の分岐点」
2008年10月27日付き読売新聞の一面に、この山内教授の記事が載っていた。保守的な読売新聞にこのショッキングな記事が掲載されていて、世界経済危機の中、グルジア問題が埋没し、日本では殆どマスコミには問題視されなくなっている。これでは大変であるという危機感を持っている記事が掲載されていました。
アメリカはこのグルジアで、サアカシビリ大統領の南オセチア攻撃から始まったロシアとの紛争を、力で支援することなく終わった。この状況をこの山内さんは「国際政治の一極構造消滅を自ら証明」と位置づけている。
このグルジア紛争以来ロシアは欧米と距離をとり始めています。従って世界経済危機に際して、協力姿勢の顔が見えません。伝わってくるのは北朝鮮ラジン港向けての鉄道敷設工事の開始とか、リビアとイタリアと結んで天然ガス供給の協力協定が進んでいるという報道が流れています。
山本昌之氏
1947年札幌生まれ。カイロ大学客員助教授、ハーバード大学客員研究員、3度の政府中東文化ミッション団長など歴任。
「地球を読む」
グルジア戦争 山内昌之 東大教授
「中東」も関連要因に
グルジアが不用意にロシアを挑発した8月の戦争は、国際政治の構造を変え、ロシアとアメリカとの勢力分割線をカフカス(コーカサス)にも引く新冷戦の到来を予知しかねないほど深刻なものであった。アメリカは力でグルジアを援助できず、国際政治の一極構造消滅を自ら証明してしまったのだ。
この戦争は国際金融危機とともに世界史の分岐点になるかもしれない事象なのに、日本ではあまり議論もされていない。かつて外相として「自由と繁栄の弧」と言う日本外交の戦略的構想を練った麻生太郎氏は,首相に就任し、奇妙にもこの深刻な政治危機に触れようともしない。
「自由と繁栄の弧」はまさにトルコからグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンのコーカサス3国を通過して、中央アジア以東に抜ける線で発揮される、日本外交の重点構想だったはずである。バルト・東欧からアジアにまで延伸する戦略構想の現実性はともかく,エネルギー大国としても強国ぶりを印象づけるロシアの台頭を見るとき、外相当時の問題意識を忘れたかのような麻生首相の姿勢は、日本外交の継続性を国際世論に疑わせるだけでなく、関係諸国への信頼性を損なうことが懸念されるのだ。
ところで、コーカサス3国はカスピ海と黒海に挟まれながら、中東とロシアと中央アジアに囲まれていたせいもあり、歴史的に大国による国際政治の複雑な駆け引きが繰り広げられてきた。19世紀以来コーカサスの地は中東で起こるヨーロッパ列強の「東方問題」と、中央アジアで繰り広げられたイギリスとロシアとの「グレートゲーム」(大勝負)と結び付けてきた。
つまりコーカサスは、ヨーロッパとアジアを国際政治の舞台でつなぐ要衝であり、現在ではカスピ海周辺の石油・天然ガスの利権やパイプライン建設の問題をめぐってロシアとアメリカとの利益対立の最前線になっているのだ。
コーカサス問題をこじらせる一要因が北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大にあったことは疑いない。NATOのなかでもアメリカは、ソ連と共産主義の脅威から西欧を防衛する任務を達成した後でも、旧東欧の一部やバルト3国をNATOに加入させ、ウクライナやグルジアなどロシア革命以来ソ連を構成していた領域にまで新たな力を拡大しようとした。
NATOの東方拡大は、国際テロリズムとの戦い、イラクやアフガニスタンの安定と秩序再建といった新たな政治環境の出現、国際金融危機などで協力を取り付けるべきG8(主要国首脳会議)の一員ロシアの国益を考えると、かなり刺激的な構想に他ならない。グルジアのNATO加盟は、コーカサス全体の地域安全保障に亀裂を入れ、新たな冷戦構造の分割線を引く危険な可能性を持っているのだ。
コーカサスで利益対立
ロシアは、グルジア領土のアブハジアや南オセチアを分離独立させることで旧ソ連地域への影響力の復活を狙った。またグルジアとの軍事衝突は、1979年のアフガニスタン侵攻以来となる隣国との戦争だったという点でも、アメリカやNATOになびくバルト3国や東欧や中央アジアに対する無言の警告となっている。
しかしロシアの報復攻撃の動機として、グルジアなどコーカサスにも豊富なオイルマネーを武器に進出するアラブ産油国など,中東に関連する要因もあった点を忘れてはならない。
まずロシアは、アメリカが支援あるいは黙認するイスラエルのグルジアにおける影響力の増大を牽制した。それは、イスラエルによるグルジアの軍事・諜報システムの改革支援だけではない。ドバイ在住の米研究者カラシク博士によれば、グルジア、トルコ、アゼルバイジャン、トルクメニスタンをつなぐ資源パイプライン構想へのイスラエルの関心増大に反発したのである。
すでに米英などの石油メジャーはアゼルバイジャンからグルジアを経由してトルコの東地中海沿岸に出る石油パイプラインを建設している。そこにイスラエルが関係するなら、ロシアはソ連以来の裏庭と自負するカスピ海油田への権益をますます脅かされると考え,グルジアや中東地域に警告を発したのである。
実際にロシアは、2003年のイラク戦争後にアメリカなどの海軍兵力がペルシャ湾に集結すると、東地中海に空母を遊弋(ゆうよく)させ、イスラエルを牽制しながらシリア経由ですぐにペルシャ湾を脅かす機動力を誇示してきたものだ。
その上ロシアは、核開発を進めるイランとの交渉仲介役として歴史的に特殊な地位にこだわってきた。ロシアは、欧州連合(EU)が存在感を発揮するまで、アメリカやサウジアラビアなどのGCC(湾岸協力会議)諸国とイランとの交渉の調停者を自任にて来た。
ロシアはグルジア戦争によって、自らの存在を無視すればコーカサスと湾岸の安全保障の維持が難しいことを示唆し、サウジアラビアの嫌うイランへの制裁緩和や武器売却の再開にも踏み切ると間接に意思を表示しているのだ。
またロシア軍の攻撃を受けてインフラが壊滅的被害を受けたグルジア・ポチ港の地域関連利権の半分以上は、アラブ首長国連邦の一国ラスアルハイマが4月に獲得したばかりであった。ロシアは、自らその利益を無視したコーカサスとGCCなど中東との南北経済回廊を無条件に認める意思がないことを示したともいえよう。
他方アメリカは、イラクとアフガニスタンに続いてコーカサスでも戦略的立場を弱めることになった。コーカサスとロシアの関係は、エネルギー問題を通してグローバルな関係をもつようになり、かつてなら想像も出来ないほど複雑化してしまったからだ。
コーカサスの独特な事情とロシアとの歴史的なつながりを考えるなら、グルジアはすぐにVATO加盟国になるよりも地域の包括的な中立性を担保する方が、緊張に満ちたコーカサス3国の安全保障にとって、現実的な利益になるかもしれない。
この点でもNATO加盟国でない日本は、中東和平に貢献してきた成果も踏まえ、「自由と繁栄の弧」構想を発展させながら、中東と隣り合うコーカサスの平和と安定へ独自に貢献できるはずだが、現状はそうなっていない。

