この裏にはペリカン便を吸収したという流れが
今まで国鉄にぴったり寄り添うような形で営業を続けていた日本通運がこのペリカン便の母体だ。この日本通運の組織は全国に張り巡らされ、この組織と同じく全国基盤を持つ郵便事業会社が宅配事業面で合流するようなことになっていたのかという、そんな感慨で以ってこの問題を感じ取る。
この日本通運は全国いたるところにあり、丸通(マルツウ)とか日通(ニッツウ)とか呼ばれていた。この組織は古くて大きいものだと思う。トラックの宅配業界では「クロネコヤマト」が大きく目立つが、大和運輸は今どうなっているのかわからないが、日本通運の古い組織とどんな具合になっているのだろうかということに関心がいく。
その古い全国組織も大きいが古いままでは展望が開けなかったのか、日本郵政に吸収されたというから、この事業からの撤退をしたのだろうかという気がする。こんな遅配事件がなければ、こんな大きな変化がきていることなど全く気付かなかった。民営化した郵便会社はこんな歩みをしていたのかという気がした。
今以って郵便事業の民営化の論議やいく末が定まっていない。完全民営化を唱えて小泉政権が取り組んできた。過疎地ではやっていけない郵便局が出るとこれは利益追求の会社であるから当然こんな局は廃止の運命となるはず。国民の利便はきらないという、そはれ建前だけの話でいずれこのような採算がとれないところは消される運命であると思う。
いまだに郵便の事業をどうするのか、進路が定まらないまま進んでいるがこんなペリカン便を吸収合併というような巨大な事業再編が起きていたのだということに気づく。世界が目まぐるしく変わる中、日本人としてまた1介の国民としてどう生きていけばいいのかということを問われている気がする。激変をどう生き抜いたいけばいいのかと。